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初めての副業『バナナジュース移動販売』200万円の大失敗から学んだ経験!!

 

こんにちは!フリーランスWebデザイナー志望のKAMEです。
僕はこれまで建設業のサラリーマンとして働きながら、色々な副業にチャレンジしてきました。
その多くが全然稼げなかったり、上手くいかなくて挫折したりと思い返せば涙が出てきそうになる内容ばかりなのですが、今回その数々の闇歴史の中から僕が初めて行った副業の『バナナジュース移動販売』について、ご紹介したいと思います。
ちなみに結果は大失敗(200万円以上…)だったのですが、初めて自分の力で0→1を達成した瞬間でもあったわけで、お金は稼げなかったけど、自分の中ですごく貴重な体験をしました。

そこで今回の記事では、そもそもなぜ副業を始めるキッカケは何だったのか?また初めての副業でバナナジュースの移動販売を行う中で、学んだ失敗や経験談等について紹介したいと思います。今となっては、笑える失敗エピソードですが、これから副業を考えている方、今中々副業が上手くいかなくて苦戦している方、後はこれから移動販売やってみたいと思っている方の参考になれば幸いです。(是非、笑いながら読み進めて下さい。)

 

なぜ副業を始めたのか?キッカケはゼネコンの超絶ブラックな働き方

さて、では最初に僕が副業を始めたきっかけについて紹介しようと思います。
僕が初めて副業を考えるようになった一つの理由は、大学を卒業して初めて入ったゼネコンと言う会社の仕事が滅茶苦茶ハードで理不尽だと思ったからです。

当時ゼネコンの現場監督と言う仕事は、朝は始発の電車に乗り夜は終電で帰るのが当たり前の超絶ブラックな働き方でした。休みの日も上司や職人から怒鳴り声の電話が掛かってきて、とても嫌だったのを覚えています。
そうは言いつつ社会と言うものを知らなかった当時は、社会人と言うのは全員こういった辛いことを乗り越えて生きているのだと、自分に言い聞かせて乗り切ってきました。経験を積んで仕事を覚えれば、この辛さも無くなるはずだと考え、入社から5年間くらいは良く分からないなりにもガムシャラに頑張って働いてきました。

しかし、仕事の大変さと言うのは経験を積めば積むほど減っていくわけでは無く、むしろ大変さの形を変えて次第に重たくなってきました。

そして、とある静岡の片田舎の現場で24時間現場の突貫工事を経験した時、夜中の現場巡回中に疲れすぎて、冬場に現場内のゴミ捨て場の近くで寝てしまっていました。
その時は偶々ゴミを捨てに来た職人さんに起こされたのですが、さすがにその頃から『このままじゃマズい、このままじゃ会社と家の往復だけで人生が終わってしまう。自分の人生はこんなつまらない物じゃない』という思いから、独立して会社を辞めよう!という風に考えるようになりました。

 

バナナジュース販売しよう!思い付きから始まった初めての副業

副業を始めたいと思う様になってから、僕が初めてやってみたいと思ったのは『バナナジュースの移動販売』でした。
大学時代にパン屋でバイトをしていた時に、そのパン屋で売っていたバナナジュースが美味しかったので、そうだバナナジュースなら自分でも作れそうだ!という思い付きから始めました。

当時静岡の片田舎で、週一休み、週六現場勤務だったので、店舗を借りて販売するのはあきらめて、自分のタイミングで販売する場所とタイミングを選べる、「移動販売」という手法を選んで販売をすることに決めました。

それからは、移動販売の書籍を数冊購入し、その後移動販売用の中古の車を約60万円で購入して、なるべく経費を掛けない様にするために、自分で内装材を購入して車内の改造工事(車内でバナナジュースを作ったり、販売を行ったりするスペースを作る為)を行い、食品を販売するための資格の取得や、改造した車を保健所に登録等して、都内一円のフリーマーケット等での販売を何とか実現させました。言葉で書くとすごくあっさりしているのですが、販売を始めるまでに実に色々なトラブルが発生しました…。

当時の事を思い起こしながら経緯を書き出していこうと思います。

 

移動販売車購入!内装工事は自作することに決定!

バナナジュースの移動販売始めるには、まずは販売をする為の移動販売車を用意する所から始めます。ここでお金がある人は、移動販売車を購入する時に、内装の改造工事の一式で業者に発注することも出来るのですが、数十万円から数百万円もする内装工事を、儲かるかも分からない副業に払うのはリスキーと考え、まずは出来るだけ経費を抑えてスタートする為、『よし店舗の内装は自作しよう!』と考え、中古の車を購入して内装は自分で工事することにしました。

そこで中古車販売のサイトを確認して、栃木の中古車屋で以前の持ち主が移動販売をしていたという車を見つけて60万円で購入しました。

移動販売車用の車を購入、なんちゃってボルクスワーゲン仕様車(実はダイハツww)を60万円で購入した。

購入時の内装はこんな状態、以前の所有者が移動販売をやっていたみたい

 

4,内装工事開始!自分で工事したら、あれ、扉が閉まらない?

移動販売用の車を購入したら、内装材を購入してきて内装工事を開始。週一の休みを利用して自宅の駐車場で工事を開始しました。移動販売車で食品の販売を行う為には、車の社内を保健所が定める規定を満足させる仕様に改造する必要がります。例えば流し台が必要だったり、運転席と食品を提供する場所を分ける必要が有ったり、アルコール消毒台が必要だったりと、割と細かい保健所のルールを良く確認しながら、自分で設計図(手書きw)を書いて、進めて行きました。

内装工事自体は、元々ゼネコンで働いていたこともあって、大工さんから工具や木材のカットなど手伝って貰ったりしながら、順調に工事を進めて行きました。その時は徐々に形になっていく車の内装を眺めながら、『さすがは建築屋!DIYなんて簡単よ!』と調子に乗っていたのですが、この時の僕は、まだこの後不具合が発生することを知りませんでした。

棚やカウンターの設置が完了し、社内のペンキ塗装も終わり、内装工事も終盤に差し掛かった頃、商品を提供するカウンターの下につけた、車内に入る為の開き扉が上手く閉まらないという不思議な現象が発生しました。

「カウンターも扉も水平に作っているのに原因は何だろうな~?」と不思議に思っていたのですが、ちょっと車を移動させたときに、原因が発覚しました。
なんと自宅の駐車場(内装工事をしていた場所)に勾配が付いていたため、カウンタ=を勾配が付いた状態で水平に施工されてしまっていたのです(泣)。その為、地面が水平の場所に移動すると、逆にカウンターが斜めになってしまい扉が上手く閉まらないという。。。

これだから素人の施工は困るんだよ!!なんて自分を責めてもしょうがなく、また工事も大分進んでしまっているので、『まあ多少カウンターが斜めでも大丈夫でしょ!大事なのはバナナジュースの味よ!!』という事で気を取り直して、次のステップに進めて行きました。

内装工事が完了すると、冷蔵庫や手洗いの施工、水を入れるタンクやクーラーボックス、発電機等、バナナジュースを販売する為の設備を購入して設置していきました。狭い社内の中に色々な設備を詰め込み人がギリギリ一人作業が出来るスペースを確保しました。工具や諸々の内装材料・資機材の調達で大体30万円程度かかったと思います。

 

斜めになってしまったカウンターと閉まらない扉(ペンキ塗る前に気が付いたら、直したかもしれない…まあちょっとくらいはしょうがないね)

 

5、食品衛生責任者資格の取得と、最強の難関!保健所の許可申請

車の改造の完成に合わせて、保健所に事業の移動販売の許可申請をする為、食品衛生責任者という資格の取得と、東京都で移動販売を行う為の許可申請を行いました。

日本国内で移動販売を行う為には、所管の保健所に営業許可の申請を行う必要があります。資格の取得は1日研修を受ければすぐに取得できた(休日に講習をやってくれるところが無かったのでわざわざ北九州まで行って講習を受講)ので良かったのですが、続く保健所の営業許可の申請に滅茶苦茶苦戦しました。

というのも、僕はその当時職場は静岡で働いていたので、都内で営業を行う為には都内の保健所で許可申請を提出する必要があり、その為には静岡から東京の保健所まで車を持ち込み、車体のチェックを行って貰う必要があります。

※僕が買った車体はダイハツの軽トラだったので、アクセル全開でも80㎞/h程度しか速度が出ないので、静岡⇔東京の往復で約6時間位かかりました。(中古車屋の人に車を購入する時に言われたのですが、エンジンが焼けてしまう為、途中休憩が必要…人間かw)

 

そして、保健所のチェックで指摘が入ると、また静岡に6時間くらいかけて戻り車体の改修を行い、東京に戻ってきて検査を受けるという、、、しかも自前で工事を行っている為、中々要領よくいかず、2回検査不合格となりました。さらに困ったのが、保健所は役所の為、平日しかやっていません。副業をしていることは会社には説明していなかったので、都度理由を付けて会社に休みを申請して、検査を受けに行かなければいけないというのが、結構苦しかったです。

1回目の保健所の検査で『給水の為の水量の不足』の指摘で不合格となり、2回目の検査で『消毒液の不具合』で再度不合格になった時は、さすがに『もうやってらんねー!!』と投げだそうかと思ったこともあります。

 

わざわざ土日に講習を行っている北九州まで行って取得した『食品衛生責任者』資格(左:講習風景、右:終了証書)

 

やっとの思いで『営業許可証』の取得完了!喜んだのもつかの間、東名高速でエンジントラブル発生!

度重なる保健所からの指摘で泣きそうになりながら、3度目の正直と言わんばかりの気合を入れて、車を改修して、保健所の検査を受け無事に合格証が発行されたときは、嬉しさの余り思わずガッツポーズが出てしまいました。

『よーし、これで無事に営業開始が出来る!!これからメニュー開発して、いよいよこのバナナカーでバナナジュース販売するぞー♬』と意気揚々で、東京の保健所から静岡に戻る途中、問題が勃発しました…。

東名の御殿場インター付近でトンネル走行中に、急に異音と共にフロントガラスの前から白い煙が上がってきました。どうしたんだろうと思いながらもさらに少し走っていると、今度はアクセルを踏んでも、車の速度が上がらなくなってきました。

場所は東名高速のトンネルの中、路側帯は無く、運転席のメーターを見ると、エンジン温度のメーターが振り切ってます。さすがに『これ、エンジン爆発するんじゃね??』という恐怖が一瞬頭をよぎりました。

段々スピードが低下していきながら、何とかトンネルを抜けすぐに付近の路側帯に避難しました。「…プスン…」そこで完全に車はエンジン停止、その後はエンジンを掛けようとしてもウンともスントも言いません。人生で初めての出来事で暫くボーゼンとしてたんですが、高速にずっと留まっている訳にもいかないので、JAFFを手配して、レッカー車で近くのダイハツの修理工場まで動かなくなったバナナカーを運んでもらう事にしました。

 

レッカーで運ばれていく悲しき我がバナナカー・・・(´;ω;`)

 

エンジンのオーバーホールで修理代40万円!!

ダイハツの修理工場に到着してから、動かなくなったバナナカーを預け、修理してもらう事になりました。車を預けて一週間くらいが経ち、工場から修理費の連絡が有りました。原因は車のエンジンのオーバーヒートだったそうです。

エンジンが完全に焼けてしまっているので、オーバーホールが必要だそうで、修理費は40万円ほどかかるとの事でした。もう保健所の申請も完了しているので、今更引き返すわけにはいかないので泣く泣くエンジンのオーバーホールを行って貰う事にしました。

やはり軽自動車で長距離移動と言うのは車体に負荷を掛けてしまうので良くないという事を理解しました。それからは、バナナカーは都内に駐車場を借りてそこに置くことにしました。まだ販売を開始していない状態で、毎月の駐車場代25,00円の出費は思いっきり赤字だったのですが、毎回の都内と静岡の往復の時間と手間を考え、必要経費として割り切ることにしました。

 

バナナジュース販売の最終準備!!メニュー作成&仲間の募集!!

すったもんだしたものの、徐々に販売の為の準備が整ってきた感じで(どこが?)、次に行ったことは、販売するバナナジュースのメニューの開発や、お客さんに提供する容器やストロー等の発注、材料のバナナを安く供給してくれる仕入先(東京の実家の近所の八百屋さんに決定)の開拓など、バナナジュースを販売する為の最終準備を行っていきました。

それと同時に一緒に販売してくれる仲間の募集をしました。この時は高校からの友人に一緒にバナナジュースの販売をしないか?と持ち掛けたところ、快く快諾してくれました。後は親にも声を掛けて初回の販売をまずは万全の状態で迎えられるような体制を整えていきました。

初めてのバナナジュース屋の名前は『Banana Banana』で決定!!

 

様々な種類のバナナや牛乳を買いそろえ、最強のバナナジュース(自称)の調合レシピを開発した!!写真は試作品の究極のバナナジュース。見た目いまいちw

 

メニューや看板ももちろん自作です。

 

バナナジュース移動販売開始!!初日に150杯バナナジュースを販売(爆)!!

工場に車の修理を依頼してから、二週間ほどで無事にエンジンのオーバーホールが完了し、バナナカーが以前の様に元気によみがえったので、いよいよバナナジュースの移動販売を開始することにしました。移動販売を行う為には、どこで販売をするか?を決める必要があるので、初回は新宿の中央公園で行われているフリーマーケットにスペースを借りて、そこで販売をすることに決めました。

※ネットで情報を探すと、都内で移動販売可能な場所が結構あります。

当日は2人の友達に手伝って貰ってバナナジュース販売を行いました。お店を始めるまでは、『バナナジュース一杯も売れなかったらどうしよう??』とか多少の不安が有りましたが、会場についてお店の準備をしていたらフリーマーケットで同じようにお店の準備をしていた人から早速『一杯下さい!』と幸先の良いスタートを切り、その後も天気が良かったのも手伝って、バナナジュースは飛ぶように売れ、なんと元々の予想を大幅に超えて初日に150杯ものバナナジュースを販売するという、当時の自分的には大成功・大満足の結果で初日を終えました。これまでバナナジュースを販売しようと思い立ってから、実に1年半位の時間が経っていました・・・。本当にやれてよかったよ。ありがとう。

初めてバナナジュースの販売をした3人、作るのが間に合わない位、滅茶苦茶売れました!!Tシャツも自作です。

 

バナナジュース移動販売開始から半年、早すぎる廃業(泣)

初めてのバナナジュース販売で大盛況だったので、その後も3回ほど場所を変えて一日限定バナナジュース屋『BananaBanana』を開いたのですが、続く2回目・3回目は、最初の大盛況が嘘だったかの様に売り上げが伸びず(場所・季節・天候により売上が大きく左右される)、経費がかさんで、むしろオープンしない方がいいくらいの結果となってしまい、飲食業の難しさを肌で実感する結果となりました。

またその当時、週一の休みのたびに副業の移動販売を行うべく、静岡⇔東京を往復して、移動販売が終わったら、その日のうちに静岡に戻り次の日からハードな本業の仕事を始めるというのは、初めは良かったのですが、段々と辛くなってきてしまい、色々と悩んだ末、やはり副業としてバナナジュースの移動販売を継続するのは難しいと判断しやめることにしました。準備に1年半かかったのに、始めてからは半年ほどで撤退。それまでの諸々の経費等がかさんで70万円位、準備期間と営業期間トータルで200万円位掛かってしまいましたね。。。もちろん自腹です。

 

第二回、第三回バナナジュースカフェの様子、販売する仲間がどんどん増えて行ったのは楽しかったな。

バナナカーの最後は2度目に発生したエンジントラブルが原因で廃車にしました。バナナカーよ今までありがとう。

 

副業のバナナジュース移動販売を通して学んだ事

ここまで僕が初めて副業で移動販売を行った経緯をご紹介してきましたが、バナナジュースを売ろうと思い立ってから、様々な準備をして、実際に販売をして、ビジネスの楽しさと厳しさを思い知って、と一通り経験する事で学んだことを下記に記載します。あくまでビジネスの敗者が感じたことなので、参考にはならないかもしれませんが…笑

 

①自分のサービスで人に喜んで貰うことは自分も滅茶苦茶嬉しい

これは移動販売を通じて、自分が作ったバナナジュースを人が買ってくれて、そして『美味しい』と喜んでくれた時に感じたのですが、自分で作ったサービスで人が喜んでくれるのを見るのは滅茶苦茶嬉しいです。『これまでの苦労を忘れる』という表現を聞いたことが有ると思いますが、まさにその通りで、本業もくそ忙しくて体力的にきつかったけど、そんなことは忘れる位とても充実した時間を感じることが出来ました。また仲間と一緒に物を販売するという事も、高校の文化祭の様な感じで、もとても楽しい経験でした。

 

▼バーベキューに呼ばれたりしました。

 

②飲食業をビジネスとして行うのは超大変、飲食業の経営者を尊敬します。

バナナジュース屋をやってみて思ったのは、世の中の飲食業を経営している経営者はすごい!という事です。僕らが1日に1杯300円(材料費:150円程度)のバナナジュースを150杯売ったとしても、そこから生まれる利益は2万円と少し…衝撃でした。人を雇うなんてとても無理な世界です。世の中にはビジネスとして飲食店を経営している人は沢山いますが、どうやって成り立っているのか?本当に全員を尊敬します。

 

③副業をしていると本業の嫌な事が気にならなくなる

副業をしていると、これまでは会社の中だけが自分の世界だったのが、新しい自分の世界が出来るので、本業で嫌なことが有っても、副業の事を考えると、ちょっとだけその嫌な事が気にならなくなります。

本業で嫌な上司がいても、副業の事を考えると気持ちに余裕が生まれます。また副業をしているときは、自分のサービスに対して、次は何をしようかな?どこを改善しようかな?等、いくらでも新しいアイデアが生まれてきます。そういったクリエイティブなことを考え実行することで、毎日がワクワクして活力が沸いてきます。

 

④副業を通じて色々な出会いや機会が生まれたりします。

副業として、新しいことを始めたら、なるべく周りの人にも自分のやっていることを伝えるといいと思います。僕の場合はバナナジュースの販売をする為に、友達や両親に声を掛けましたし、彼女や兄弟にも販売を手伝ってもらったこともあります。またバナナジュースの移動販売のお客さんとして知り合ったメンバーと一緒に、バナナジュースのイベントを開いたりして、副業を通じて会社の中だけでは出会うことが出来なかった、色々な人との出会いが生まれました。

 

▼渋谷で開催したバナナジュースパーティーの様子

 

まとめ

ここまで僕の初めての副業『バナナジュースの移動販売』のお話しにお付き合いいただきありがとうございました。時間もお金もかかった挙句、たったの半年程度で廃業してしまったので、数字の結果からみると明らかに大失敗だったのですが、自分の思い付きから計画して『ゼロからイチを生み出す』経験が出来たのは、サラリーマンを続けるだけでは決して経験出来ない貴重な経験だったので、とても良かったと思っています。

保健所で何度も検査不合格になった時、車のエンジントラブルでめげそうになった時、あきらめないで乗り切ったという『自信』、ここから僕の副業ライフが始まっていきます。

今日は、そんな僕の副業の初めの一歩のお話しでした。まだまだ失敗エピソードもいっぱいあるのですが、今日はこの辺で。

ではまた!